りこん

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※私的な感情の入った記事になります。

厨二病、悲劇のヒロイン気取り病が発症している可能性があるので、そう言った内容を不快に思われる方は閲覧をご遠慮ください。

 


 

 

 

2021年10月。

8年間続いた私の家族が終わりを告げました。

 

 

理由は

「価値観の違い」

です。

 

私と嫁の価値観は大きく違っており、何度話し合っても分かり合えることはありませんでした。

 

 

「リンゴは何色?」

大半の人は「赤色」と答えると思います。

 

でも、私たち夫婦はこの意見が一致することは無かった。

 

私が赤色に見えていれば、嫁は黄色に見えている。

嫁が赤色に見えていれば、私には黄色に見えている。

 

私が絶対的に正しいと思っている事が、嫁の中では全く正しいことではなく、到底理解することができない。

嫁が絶対的に正しいと思っている事が、私の中では全く正しいことではなく、到底理解することはできない。

 

 

「誰が見てもそうだ」

これを一つの判断基準として話し合いを進めようとする私。

主観に囚われないよう、周りの人(嫁の家族や私の家族)にも聞いてもらい、客観的意見を取り入れて解決を試みる。

 

これに対し

「人によって答えは違うし、環境によっても大きく変わる」

話し合いの度にこの抽象的な文章で意見を曲げない嫁。

これを毎回出されることで、その”答え”を知ることができるのは嫁しかいない。

 

きっと、どちらも言ってることは間違ってないんだろう。

もしかしたら、私が”堅い答え”を求めすぎたのかもしれない。

主観が抜けきれず、自分勝手な意見を押し付けていたのかもしれない。

もっと柔軟に対応すべきだったのかもしれない。

 

 

でも、確実に言える事は、

ただただ、価値観が合わなかった。

 

 

最後は別に喧嘩別れをしたではなく、お互いに

「価値観が合わなかったね」

で終わった。

初めて意見が大きく合致したように思う。

 

 

子供の親権は勿論、嫁に行く。

子供とはお別れ。

 

 

4日間ほどまともに寝れなかった。

目をつむると想い出が溢れてきて寝れなかった。

 

 

お腹も空かなかった。ご飯の味もなんか薄かった。

 

 

出産に立ち会い、抱っこし、小学1年生まで一緒にいた娘。

 

 

「この子のために生きよう」

産まれた時に強く思った。

 

何か嫌な事があっても「パパやし、踏ん張らなあかんなー」と心の支えになってた。

 

 

めちゃくちゃ自分勝手な話だけど、子供を育てる事が私の人生の生きる意味として考えてた。

 

 

特段何かの才能に溢れたわけでも無い私。

人のために役立ってる実感も無かったから、正直いつ死んでも良いやぐらいに思ってた。

 

 

 

そんな役立たずの私。

平凡な人生ながらも、新しい命を授かることができた。

 

 

「俺、生きていても良いのかも」

という”ちゃんとした生きる理由”を得た気分になって嬉しかった。

 

 

別に誰に嫌われてもいいや!

俺には家族がいるから、それを一生大切にしよう!

 

心からそう思ってた。

 

 

子供が生まれた年、将来を見据え、少しでも自分の力だけで家族と豊かに暮らせるようFXを2016年から始めた。

 

ブログ運用で収益も得よう。

サーバーを借りてこのブログを立ち上げた。

 

 

 

全部、”家族”という強い心の支えがあったから動けたことだった。

その心の支えが、一気に無くなった。

 

 

 

 

死のうと思った。

生きてる意味ないやん。

ほら、結局俺なんてこんなもん。

ダラダラ生きて醜いおっさんになるのも嫌やし、周りに迷惑かけるのも嫌。

死のう。

 

 

離婚を決めた3日間ぐらいは本気で自殺考えた。

睡眠もろくに取れてないので、余計にマイナスな思考が頭の中グルグルしてた。

 

 

 

「自殺 迷惑にならない場所」

「自殺 やることリスト」

 

なんて調べて。

 

 

Amazonで

「自殺 縄」

で調べたらしっかりベストセラーの自殺しやすい縄が出てきたのはちょっと笑った。

ユタカメイクの綿ロープ(3ツ打)ってやつ。

 

 

 

仕事は出勤した。何かしていないと頭おかしくなりそうだったし。

 

通勤時、満員電車の中で勝手に涙出てきてた。

仕事中でも、ふとした時に子供と公園で遊んだシーンとか頭に浮かんで涙出てくんの。

いや、勘弁してくれよ。って思った。

 

 

ただ、涙流した後は何故か妙に気持ちがスッキリした。

 

「あ、これが躁鬱っていう病か」

初めての経験だった。

 

 

今年の夏、おばあちゃんが医療ミスで死にかけた出来事があった。

その時、おかんがギャンギャン泣いて

 

「あんたらのせいで!!!さfさfじゃsdfsじゃflkfsdjさlkj」

何言ってるかわからんかったけど、とにかく泣きながらめちゃくちゃ怒ってたらしい。

(その時、兄貴がおかんと一緒にいたので兄貴から聞いた話です。)

 

 

 

あー

俺死んだら

おかんはそれ以上泣くのか

 

 

それは

いやだなー

 

 

自殺に対して考え直すようになった。

 

 

考え直そうとしても、身体がついてこない。

だって、寝れないから。

 

 

脳も正常じゃない。

睡眠が取れないから、ろくな事を考えない。

先ず、これ、なんとかしないと。

 

 

物理的に身体を疲れさせることにした。

やったことのない、ジョギング。

 

 

バスケはするけど、走ることだけを目的として出掛けた事なんて無かった。

 

 

初っ端から7km走った。

全力で。休み休みだけど。

 

 

効果絶大だった。

余計な事考える間が無いから。

ジョギング凄い。

 

 

余計なこと考えそうになったら全力疾走することで誤魔化した。

その日から寝れるようになった。

 

 

睡眠に於いて、身体を疲れさせるって大事みたい。

 

 

ジョギングのお陰で、今現在はなんとか復活することができた。

 

 

正直、もうこのブログも閉じようかとも思った。

全部どうでもよくなったから。

 

 

でも、それだとなんか昔の自分にそのまま戻る気がしてダメだなと思った。

せめて、今回の出来事で少しでも成長すべきだなと思った。

じゃないと、本当に全部無駄になる。

 

 

このブログで、ほんの少しでも誰かの役に立つことができたら、生きてる意味もあるかなって思うし。

このブログは今後も続けていこうと思う。

 

 

 

2021年10/17時点ではまだ嫁と子供は家にいる。

子供の苗字変更したり、引っ越しの準備したりと色々やることがあるから。

 

不思議と仲はそこまで悪くない。いつも通りの日常。

ただ違うのは、お互いに別々の道を歩く準備を着々としてるってこと。

 

12月中にはお別れすると思う。

 

 

 

 

今一番恐れているのは

今住んでる家を離れる時。

 

 

 

子供のためにと治安の良い、わざわざ職場から1時間離れたところに家を借りて、家族一丸となって”生活”を作ったこの家。

 

 

この家を出ていくとき、何もない部屋を見た時、自分がどういう感情になるのかがわからなさ過ぎて怖い。

 

 

ジョギングで誤魔化せるかな。

 

 

「強くならないと!子供がいるんだから!」

が、もう使えなくなったから。

 

 

また、

俺何のために頑張ってんだろう

 

ってならないか心配。

 

 

離婚の話しを職場の人たちにしたとき

 

「やったやん!!彼女作れるやん!!」

「一人暮らしとか自由の極み!!」

「デリヘル呼び放題やな!!」

 

だって。笑

 

 

 

正直、その明るさに救われた。

 

 

 

笑い話にしてくれた方が、めちゃくちゃ気が楽。

話しの内容はバカ過ぎるけど。

まぁ、それぐらいがちょうどいい。

 

 

私、独りでなんとかしなきゃって思うクセが昔からあるんだけど、独りじゃどうにもできないことがあるのを今回心底学んだ。

 

 

人間は、精神を病んだら、独りじゃ無理だ。

人の力が必要。

これ本当に思った。

 

 

人との出来事で絶望したけど、今は人のお陰でなんとか回復しつつある。

 

 

「人を傷つけるのは”人間”だけど、人を癒すのもまた”人間”なんだよ」

って言葉を思い出した。これ本当だった。

 

 

もし、このブログを読んでる方で心を病まれてる方、独りじゃマジでどうしようもないから誰かに話した方が良い。

 

とにかく話をした方が良い。話をするだけで全然違う。

独りでずっといたら、マジで死ぬ。

 

本当に死が近かった。実感した。

 

「独りで抱え込まないで、電話して」

って文言よく見るけど、これ合ってた。

 

自分の場合は電話とか病院行かなかったけど、結構ギリギリだった。

 

 

次、引っ越しする時精神がヤバいと思ったら、心療内科行くつもり。

じゃないとマジで死ぬ可能性ある。

脳が正常じゃないから。

 

 

ヤバくなったら、誰かに話すか、病院行きましょう。

 

 

 

・・・

 

っと、一通り書いた。着地迷子になったけど。笑

 

 

書くことでまた、気持ちが少しだけスッキリしたかな。

ブログって、頭や気持ちの整理するのにも適してるから助かる。

 

 

 

32歳、また一人になるなんて夢にも思ってなかった。

とりあえず、親に泣かれるのはいやなので、生きようと思う。

 

 

 

生きてりゃ良いことあるって言うし、もう少し肩の力を抜いてのほほんと生きてみようかな。

 

 

以上、厨二病日記でした。

いつになったら、私は大人になれるんだろうね。

 

 

 

 

それではまた。

 

 

ノシ

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